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椎名奏木


◎2014年秋より旅するカレー屋スプンフル休止中。
2015年7月より自由で気ままな会社員になります。
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理 想 は お 店 の 在 庫 に は な い か ら 帰 っ て 自 分 で 作 ろ う

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映画/音楽論が打てない理由 - memo

人の作ったものに、いいたい事も特になし。

借りないで済むほど自分の中にわき上がるものがないことを解っていながらも借りることを固辞した結果が誰それがコーダ、アーダというのを遠ざけているのかも。

むしろ、嫌いだと思った部分だけ取り上げたら面白いんじゃないなんつってかりかりの豚肉を食べながら、何とも繋がらずどれとも繋がる方法を考えないといけないんだなぁ、今まで自分がやらなかったやり方で。
と思って。ものぐさで頭のまわりもイマイチなのにやりたがりな自分を心底「やっかいねー」と思うのでした。
愛しさも込めて。


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ジャンルってよくわからない。 - memo
私の今の最重要課題のうちのひとつなんですが、音楽のジャンルってよくわからんのです。

・何が好きですか?
・それはどんな音楽ですか?

と云われると、言葉に詰まる。

疾走感があって、キラキラしてて、ドキドキするのが好きですよなんつって、変換して答えようとしても、並べて見返せばお前は馬鹿かというようような言葉しか出てきてない。

でも音楽って、本当は超個人的体験なのだ。
ことにライブなんて、自分と演者がどんなコンディションかで全然変わってしまう。
一対一で音楽を通じて交流するもんなのだ。
隣の人がどう感じていても関係ない。
先日のjapanjamでキヨサクさんがMCで仰ってたこと、本当にその通りと思う。
音楽を楽しむのに、「演奏者とあなた」の他に、さし挟まるものなんて不要なのだ。
だって私のいい歌があなたのただの歌なんてザラなのだから。

それでもなんとか、わたしとしては、ひとりでも多くの人の心から「その場を体験したいな」を引き出すために言葉を紡ごうとするのだけど。

先日、414に行われた猫沢エミ&スフィンクスのライブにお越し下さったお客様と話す機会があった。「本当に素晴らしかった、いい時間を過ごさせてもらいました! ところで、お友達に紹介するのに、ジャンルはなんてお伝えしたらよろしいでしょうか?」とのこと。
どんなに言葉を尽くしても言い切れない! と私には云えないのだ!
それはどっちのオリーブオイルがお勧めですかと訊かれて「お好みによりますので」という答えに等しいのだ・・・。音楽は無形、オリーブオイルは農作物だから毎度ちがうのは承知の上で。

口ではえらそうなこと云っていても、そんなことで悩んでおります若輩者です。
そんな人が関わっている「音楽」というもの、多くの人に生で、レコードで、ipodで、ネットで体験したいと思ってもらえたらいいなと思っています。

どんなジャンルであれ、人生のそばで音楽が鳴っているのは素晴らしいことだよ。
みなさんもよい瞬間に巡り会えますように。

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おはようとおやすみを繰り返していたい - memo
死生観について妹と話をして始まった一日。
日常がいかに有り難いものかを知った日から一年経って、春だね、公園日和だね、待ち遠しいね、おやつがあるよなんつって会話をしたりして。
生きていたらおはようとおやすみが言えるのだ。
握手してハグだってできるのだ。

電車で移動して、神保町へ行き、サテライトアーツラボの川上さん、小西さん、真舘さんの「窓に明かりがともる。」へ。
街と一緒に気持ちもざわざわしていたのか、友達のえみちゃんの顔にほっとする。
三人展をやるよ、と真舘さんから伺ったとき、モノクロの3人が色のついたバラをそれぞれ持っているところが浮かんで、こりゃ絶対この色のお花を届けなければいけないなと思っていた。
次があったので、ゆっくり観ることが出来なくて、でも濃度のあるいい展示でした。
小西さんの言葉に一年前を思い出し、胸に来るものがありました。またゆっくり見に行こう。

ほんとうに、展示をやってくださってありがとうございます。
「窓に明かりが灯る」ことの尊さを言外に感じていたから、タイトルだけで胸に広がるものがある。
熱量を前に背筋を伸ばしたくなる空間になっておりました。
 
「窓に明かりがともる。」川上尚見・小西康陽・真舘嘉浩 三人展
2012.3.11.sun~4.6.fri 12:00〜19:00 Open 
 日・月・祝 (3.11を除く): 休廊 
4月6日(金)16時まで
http://sateliteslab.tumblr.com/post/18655725120
 
夜はスプンフル打ち合せご飯@西荻窪で韓国料理。

次のカレーは何にしようかなんていいながらつついたチヂミがぷわぷわしていて美味しくて、たっぷり食べました。
挨拶すること、食べること、仕事をすること、つなぐこと。
すべて熱をうむことへ繋がるように。
他人の気持ちを横取りしないように。
そして自分の気持ちを曲げないように。

おやすみ、おやすみ。
明日は知らないことが待っている。

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私信 - memo

4年半つとめた会社を辞めて、自分の好きなようにやろうと思った。

 
いやあのね。
手段なんかどうでもいいんですよ。
毎日起きてから夢中で興奮してたいの。
そんなのムリってどうして思うの。
 
会社を辞めると云ってから、実際に最終出勤日が決まって、猛烈に落ちた。
なんてぬるま湯でぬくぬく生きてたんだー! と思って。
手持ちで自分を食わすわかりやすいスキル、少ないんだもの。
そんなときに目につくのは両手一杯のダメな部分。
それなのに、なんだか物凄いことしなけりゃいけないような気になっていた。
そして、周りの友達にどんどん火がつくのをまんじりとして眺めていたら猛烈な置いてけぼり感。
あせる!
 
そんななか、直近ここ数日、何人かの友達が、どろどろになった私に穴を開けて、悪いものを流しだしてくれた。
多分彼ら彼女らはそんなつもりひとっかけらもなかったと思う。
でも話をしていて、雲が開いて光が射して、
ぶわっと戻ってきた。
エンジンに火の入る音がした。
 
さて、どうしましょうかね?
スキルも金もないけれど、でも手に取ったら興奮するようなもの、自分で作ってみればいい。
 
腹が決まれば、具体的に身体を動かす。
それを通して伝えたいことがにじみ出ればすばらしい。
 
私を卑怯者のままで居させないためにも、背骨を曲げさせないためにも、
私は私ととことんつきあう。

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独立宣言 - memo
 
年末にmitome tsukasaさんの指環を誂えました。
こいつを誂えたときにはこういうことになるとはそこまで想像してませんでした。
引き取りにいった際に、友人も居たのでどうせなら填めてもらおうかなと思ったんですが、巻き込むものでもないのと発想がちょっとガールだったので止して自分でさっさと填めました。
 
指環すきなのね。
素敵に余計な意味がついてるから素敵だと思ったり疎ましく思ったりする。のはちょっとめんどう。
ただのアクセサリーなのにさ。
この綺麗な手を持ってうまれたら、せっかくなら飾りたいと思うじゃないの。
不思議なもので、好きな部位しか飾りたいと思わないみたいで、他にはアンクレットくらいしか興味がない。人のための装いじゃない。
というわけで、指環は自分で買います。
 
誰かの物語を自分のもののように引き付けない、というのがね。
なんか最近引っかかっているフレーズで。
なんやかや引き付けたがるので。改めて考えると気持ちが悪い。
でも同調しちゃうの。想像しちゃうと。
指環を見ては、独立だと言い聞かせるわけね。
 
目まぐるしく日々状況が動いていると気づいたら、
なんて膨大なものが身近を取り巻いていて、あっというまに流れ去るんだと思ったら、
気絶しそうになったんですが、ひとまずかじりついてみて。
 
少し余裕ができたので、次は、流れの中のひとつぶひとつぶを見ないようにして、それでも目に入ったものを撮る。掴む。
掴んだ瞬間に壊れるかもしれないし、掴み損ねるかもしれないし、掴んだけど離したくなるかもしれないけど、今確実に掴みたいと思ったもの。
その繰り返しに自分が耐えられますように。
白く光る品のいい指環を填めたお気に入りの手で掴んでいく。
 
手は言葉よりよく喋ります。
手は行為しかしないから。
 
今日は手のことをぼんやり思うことが多かった。
右手はよく働くので可愛がられるが、
拗ねて高慢な左手は不器用なかわりに美しさを与えられた。
とかなんとか。吉野朔実だったかな。

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着心地のいい服と型に嵌る覚悟 - memo
 
普段を気持ちよく過ごしたいなと思って。
そのために自分が出来ることを逆算していったら「健康と着心地のいい服」ということになりました。
 
以下思考の流れをメモ。
 
⇒「責めあう姿を見たくない」 なぜ責めあうか?
⇒「自分のやることはここまでと区切るから。一歩踏み出して「自分の出来ることがあるのでは」をはしょって人のせいにする」=手間を惜しんでいる? どうしたら手間をかけたくなるか?
⇒「機嫌がよかったら(=余裕があったら)はなうたうたいながら手間もかけたくなる。」 余裕はどうしたら生まれるか?
⇒「暑い・寒い・痛い・だるいがないと結構いいかも」 ⇒じゃあ健康に気をつけて、着心地のいい服をきればいいじゃん!
 
「そっちの責任でしょ?」という発言主は「責任」の何を恐れているんだろう。
責任て何だろう。
やっぱりそれも「手間」なのかなと。怒られたら怖いけど、怖いもんじゃなくて、本質は「めんどくさいもの」なのではないか。
めんどうを惜しむのは、取り組みが楽しくないからで、楽しくするには好きなことをやるが一番かと思い、じゃあやっぱり社会人総個人事業主化じゃない? なんて飛躍する。
 
気持ちよく過ごさないと手間をかけられないだと気持ちよくない場所ではループしてほどけないからもう少し考えてもいいのかも。
 
また、話は180度代わって、とあるブログで劇団四季の引用が興味深かった。
「型に嵌められて失われる個性はそこまでの個性。型から滲み出るものが個性」というもの。
 
痛む耳を感じつつ、りっぱな執事であり、愛しく個性的なキャラクターだったアルバートノッブスを思い出した。
型に嵌ったことがない。型からは全力で逃げてきた。
必ずしも不自由なものではない気がしている。少し検討してみよう。

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JANUARY,2012 - memo
 
そういえば、クウネルを買いそびれて、我が家に2012年のカレンダーがありません。
普段は携帯を見てるので、要らないと言えば要らないんですが、トイレにクウネルカレンダーをおいていたのがややよろしくて、今年はどうしようかと思っていたらもう5日です。早い。
 
iphoneの壁紙にせめて・・・と上の画像をつくったところ、日にちがこまめツブ過ぎて読めませんでした。
2段の方がいいかな。
iphoneの最下段にアイコンをおかなければ覗けるように作りたいなぁと思ったんですが。
今日は映画「50/50」を妹と観てきました。
妹がジョセフゴードン大好きで、「2度目も観ようと思うけどどうか」と誘われて前情報なしに観たんですが、面白かった。すーっと入って行きました。
観終わったあと、渋谷のお粥屋さんで、死生観や人生観というと、本当に軽いんだけど、そうとしか言いようのないようなことをあれこれいいながら、気づけば相思相愛な姉妹になったもんだとしみじみ。
あまりにも極端な思想が似ているので、笑えました。
何があるかわかりませんよ、兄弟間って。
 
あと、桜丘のお粥屋さんいいですよ、お勧め。

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私の答えとご挨拶 - memo
 
2011年を糧にして
2012年も頑張ります。
 
お元気ですか?
私は相変わらず好きなことばっかりしています。
 
ご存知のように、胸が痛むことも多かったですが、得た物も大きい一年でした。
考えたことないこともたくさん考えました。おかげであんまり頭が良くないことに気づきました。
でもまぁそれはそれで、気づけたんだからカバーしていけばいいね。
 
いくらか近況の変化もそろそろ起こるかも。
近くなったらまたお知らせします。
 
おはよう、ありがとう、いただきます、おやすみ、また明日。
また挨拶を交わせますように。
 
来年の今頃に悔いのない2012年にしていきましょう。
それではまたお会いできるのを楽しみに。
 
2012年元旦 椎名奏木

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今年こそ年賀状を書くべきなんじゃないか。 - memo
 
関係性やら礼儀やら、人間は悩むことが多い。
礼儀って存在意義がふたつあると思ってます。
 
・相手に違和感を感じさせず、スムーズにコミニケする、
・もしくは言いづらいことを形式に載せて伝える
 
だから、礼儀のために礼儀はないと思っています。
実行できているかはまた別として。
 
で。年賀状。
毎年、「宛名も手書き派」で「筆不精」という自分に直面する年末。
思想はすばらしいが体がついていってない。
 
だからより筆不精が勝っちゃって、しかも辰年ってなんかこうイメージが日本昔話しかうかばないわCMで使われてるわでモチベーションもさっぱり上がらず、挙句今年は東北方面に限らず年賀状送りづらいなぁなんて思ってたんですが、いやいや、今年こそ出すべきかもと思いました。
 
年賀状って
・私はこんな感じで元気です。
・あなたのこと覚えてます。あなたに幸多かれ。
・できれば今年もよろしく。
 
みたいなことを伝えるよね。
 
で、身内に不幸があるとなんで送っちゃいけないんだっけ?
身内の不幸があると、相手の幸せを祈っちゃいけないとか。そういうこと?
 
それとも、もし身内に不幸があった方がまだ悲しみに暮れていて、能天気に「めでたい!」なんて言われてもそんな気分じゃなくて傷つくから? それほっとくの、ちょっとやだけど。
葬式やなんかで一年挨拶ごと大変だったから休ませてくれるとか? 
そんなら年賀状なんてずっといらんよね。
 
そして「そういうもんだから」って答えはつまんないよね。
 
なので、私は今年書くことにしました。
文面が気をつけないとすぐしっとりしちゃいそうで難しいけど。
遅くなるかもしれないけど、気長に待っててね。

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it turns. - memo
 
幼さと無謀さを痛感しつつ、曲げる気持ちにはならず。
 
お金について考えたんです。
そしたら、ひっくり返したくなったんです。
 
世界がひっくり返るか、
自分がひっくり返るか、
 
何があっても笑います。

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